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2メートルを越える長身で猫背。髭を伸ばし、中国服を着た男がやってきた。壺を見つけると、男は指を壺の穴につきさし、指先についた液体をなめた。
「酸っぱい」と男はつぶやくと、去っていった。
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次にやってきた男は、ふつうの人の倍の身長はあろうかという、さらなる大男だった。インドのヨーガ行者のようなボロ布をまとっていた。この男も壺に指を突っ込み、先ほどの男と同じように、指先の液体をなめた。
「苦い」と男はつぶやくと、やはり、去っていった。
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背丈は、ふつうの西洋人ぐらい。血液型はAB型と一説では推定される長髪の男が十字架を背負ってやってきた。この男も、壺を見つけると、十字架を下して、前2者と同じことをした。
「痛い」と男はつぶやき、十字架を、改めて背負い、去っていった。
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最後にやってきたのは、ロングヘーアーにベルボトムのジーンズをはいた、国籍不詳の男だった。何やらかぐわしい煙が男のまわりをつつんでいる。この男も、壺を見つけて、指を壺に差し込み、指先の液体をなめた。
「甘い」と男はつぶやくと去っていった。
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この話は、吉福さんの十八番の話だった。ジャズの元ベース奏者だった吉福さんは、酔っぱらうと、噺家の乗りで、このちょっと辛気臭い話を始めたものだった。
岡倉天心の『茶の本』の一節を吉福さんがアレンジしたものだということは、自身が告白していたのだから、昨今話題のパクリということにはならない。該当部分を引用しておこう。
”宋代のたとえ話に「三人の酢を味わう者」というのがあるが、三教義の傾向を実に立派に説明している。昔、釈迦牟尼、孔子、老子が人生の象徴酢瓶の前に立って、おのおの指をつけてそれを味わった。実際的な孔子はそれが酸いと知り、仏陀はそれを苦いと呼び、老子はそれを甘いと言った。”(岡倉天心『茶の本:』)
吉福さんは、この話にキリストを付け加え、老子をヒッピーに置き換えている。こまかな人物描写は、忘れたので、ぼくが勝手にさらにアレンジしていることをお断りしておこう。ブッダ、孔子、キリスト、老子ならぬヒッピーの、それぞれの考えが、たしかにうまいぐあいに語られている。
さて、この「吉福さん」というのは、トランスパーソナル心理学関係の書籍の翻訳者で、また、セラピストでもある吉福伸逸氏。だいぶん昔、ぼくは吉福さんのかばん持ちのようなことをしていた。そのころの思い出のひとつだ。
最近、吉福さんの本が2冊も出版された(『吉福伸逸の言葉』向後善之ほか著 コスモスライブラリー/『世界の中にありながら 世界に属さない』吉福伸逸著 サンガ)。そんなこともあって、こんな話を思い出したので、記録しておくことにした。
しかし、このころのC+Fが面白かったのは、吉福さんが、こんな話をすると、「けっ、なにかっこつけてんだ!」って、サンニャシンのサット・ディヤンのような人物が、横やりを入れてくることだった。
え、サット・ディヤンって、誰って? そうだよね、ぼくもよく分からないんだけど、一度、話したことある。なんかオーストラリアの砂漠を一人で、何日もさ迷っているときに、同じような放浪者と、砂漠の中で、無言ですれ違ったって話をしてくれた。
ホントなのかどうかは、確かめようもないのだけれど、茫漠とした砂漠のはてしなさが、彼の語りから感じられたことだけは確かだった。
そんな話を語るホーボーが、けっこう出入りする場を主催していたのが、吉福さんだった。
ちなみに、ぼくも「甘い」という説で行きたいね。縄文土器にいれたら、どんな苦い酒も甘く醗酵するにちがいないからね。
*なお、タリムでの鑑定は、今週は9日水曜日、11日金曜日です。
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