2015年9月30日水曜日

サビアン占星術研究の基礎がようやくそろう


 ようやく基礎資料の翻訳が整いそうだ。
 ぼくがサビアン占星術について、初めて知ったのは1980年代の末の頃だった。1991年には、松村潔著『神秘のサビアン占星術』(学研)と直居あきら著『バイオリズムが人生をプラスに/マイナスに変える』(エスカルゴ ブックス)の 2著を出版プロデュースした。以来、四半世紀が経っている。
 1997年に『サビアン大辞典』(MIIBOAT Books)を出版した岡庭加奈さんとは、その頃、何度かお会いしたり、電話でお話して、情報交換をしたものだった。岡庭さんは、2013年には『サビアン原典大辞典(全5巻)』を刊行している。
 先日、岡庭加奈さんと東条真人さん、ご夫婦に久しぶりにお会いした。なんとルディヤーの『マンダラ』の解説部分の翻訳が、もうじき終わるという。
「おお、やっと出るのか」
 サビアン占星術に魅了されて以来、ぼくもこの占星術にはまってきた。そして、分からなくなると、ルディヤーの『マンダラ』を辞書片手に読み、理解を深めるということを繰り返してきた。
 その度に、『マンダラ』の翻訳出版が出ないものかと、自問したものだった。
 サビアンシンボルの翻訳、解題はかなり進んだわけだけれど、この占星術を生み出している思想や、その文化的背景については、ほとんど紹介されていない。ルディヤーの『マンダラ』は、もちろん、シンボルの解説が全体の6~7割を占めている。しかし、その前後に、ルディヤーによる解説部分がある。ここがなかなか興味深い内容で、ルディヤーの思想やサビアン理解の手がかりがかなりある。
 さらに他の著作も、取り寄せてみると、占星術全般に対して高度な思索を試みるとともに、神智学やインド哲学、ユングの深層心理学といったもののアマルガムとでもいえる思想を展開している。いわゆる欧米のニューエイジ思想に、一定の影響を与えたと推測させる思想世界が、そこに展開されているのだ。
 また、サビアンシンボル解説を読むと、360度のシンボル、1度1度が分離したものではなく、一連のストーリーを構成していることがわかる。このストーリー性を読み取ることができるのは、ルディヤーの著書のみなのである。
 岡庭さんの『サビアン原典大辞典』には、『マンダラ』のシンボル解説の全訳が含まれている。さらに解説部分の翻訳出版を近日中に完成させるというのだ。
 ようやく、念願がかない、サビアン研究の基礎がそろうことになるのだ。
 
サビアン原典大辞典(全5巻)岡庭加奈(編訳注)



*本日、9月30日(水)午前11時より、午後9時(受付締切午後8時)まで、原宿占い館タリム(03-3497-5825)にて鑑定を行います。
*タリムでの鑑定は水曜日、金曜日です。


2015年9月23日水曜日

大湯ストーンサークル

  おはようございます。本日もよろしくお願いします。
 今日は秋分の日ですね。ホロスコープでは、牡羊座から乙女座への半円を終え、天秤座から魚座への半円へのサイクルに変わる重要ポイント。
 1年の中でも大きな変わり目の一つです。気分を変えていきましょう。
 写真は大湯ストーンサークル。
 こういった施設で古代人が天体を観測していたことは、もう確かなことでしょう。きっと秋分のような季節の変り目の時は、大いにお祝いをしていたことでしょう。
 ところで、上空から見たこのストーンサークル。ヲシテ文字で「アワ」と読める・・・!
 先日、開かれたヲシテの講座「よみがえる日本語」で指摘していたのだけれど。・・・んん、おもしろい。








 本日、9月23日(水)午前11時より、午後9時(受付締切午後8時)まで、原宿占い館タリム(03-3497-5825)にて鑑定を行います。
*タリムでの鑑定は水曜日、金曜日です。ただし、今週の26日(土)は、臨時に鑑定を行います。
*縄文文字ヲシテは、日本ヲシテ研究所が、意匠権・商標権を所有しています。

2015年9月15日火曜日

縄文のボディピアス

  原宿には、”縄文”が生きている。
「あれ、また増えた?」
 ついつい、ぼくは聞いてしまった。
「いえ、同じですよ」
 いや、やっぱり、増えているような気がする?
 身体のいろいろなところに、金属製の装身具を装着するボディピアス。原宿では、けっこう見かける。
 唇とか、鼻、頬、耳たぶ、口の中、舌、おヘソの辺りなどなど。きっと、もっといろいろなところに装着されているにちがいない。
 鑑定のあいまに、外で休憩しているとき、たまに話をする、近所のショップのナナさん。彼女も、ボディピアスが目立つファッションだ。
「すごいね」
 よく見ると、耳の軟骨の部分にまで、金属製の装身具が装着されている。視線に気づいて、
「インダストリアルですか?」と彼女はこたえる。
「それインダストリアルっていうんだ。自分で穴あけるの?」
「そうですよ」
「ええ! 痛くないの?」
「痛いですよ」
「すごい根性だね」
 見ると、耳たぶに大きな穴のある金属製のリング状のものが装着されている。
「その耳たぶの穴、どのくらいの大きさ?」
「16ミリ」
「ピアスの穴、そんなに大きくしたんだ」
「少しづつですよ」



 そういえば縄文遺跡から出てくる「耳栓(じせん)」と同じだ。
主に東北の縄文遺跡から数多く掘り出される遺物ののひとつにまわるい土製の「耳栓」がある。
 大きさはさまざまで、中には直径9センチというものを見たことがある。専門用語としては「ジセン」と読むのだけれど、当初、ぼくは読めなくて「みみせん」と読んでいた。ふつうはこの読み方でまちがいではない。
 縄文土器のひとつで「みみずく土偶」というのがある。耳のあたりを見ると円い耳栓が埋め込まれているのがわかる。縄文人の耳の穴は「そんなに大きかったのか?」と妄想した。
 ところが、よく調べてみると「耳栓」の装着方法は、耳の穴に突っ込むものではなかった。
 現代でもピアスをするために耳たぶに小さな穴を開ける。同様にして、開けた穴を少しづつ広げて行き「耳栓」を装着したらしい。大きい耳栓をつけているほうが、社会的ステイタスが高かったと研究者の報告書には書いてあった。
 人間が実際に装着したら、どんなふうなものなのか? 現代のアフリカやタイの少数民族の中に、参考になるファッションがある。
 アフリカのスルマ族やタイの耳長族の女性は、耳たぶに大きな穴を開け、耳飾りを差し込んでいる。形態としては、縄文時代のものと同様だ。
 両民族とも、身体改造に熱心で、唇に皿を差し込むなど、不思議なファッションを好むことも知られている。



 気が付いたら、ナナさんは休憩を終えたのか、ぼくのうんちく話に飽きたのか、いなくなっていた。
ファッションのために、人は驚くべきことをするものだ。現代も、縄文時代も、変わらないようだ。
 彼女の耳たぶの穴の大きさも、今後、さらに大きくなっていくのだろうか?


★原宿タリム(03-3497-5825)での鑑定は水曜日、金曜日です。両日ともに午前11時より、午後9時(受付締切午後8時)まで鑑定を行います。

2015年9月8日火曜日

◆吉福さんの『壺』の話

 壺がひとつ置いてある。

 2メートルを越える長身で猫背。髭を伸ばし、中国服を着た男がやってきた。壺を見つけると、男は指を壺の穴につきさし、指先についた液体をなめた。

「酸っぱい」と男はつぶやくと、去っていった。

 次にやってきた男は、ふつうの人の倍の身長はあろうかという、さらなる大男だった。インドのヨーガ行者のようなボロ布をまとっていた。この男も壺に指を突っ込み、先ほどの男と同じように、指先の液体をなめた。

「苦い」と男はつぶやくと、やはり、去っていった。

 背丈は、ふつうの西洋人ぐらい。血液型はAB型と一説では推定される長髪の男が十字架を背負ってやってきた。この男も、壺を見つけると、十字架を下して、前2者と同じことをした。

「痛い」と男はつぶやき、十字架を、改めて背負い、去っていった。

 最後にやってきたのは、ロングヘーアーにベルボトムのジーンズをはいた、国籍不詳の男だった。何やらかぐわしい煙が男のまわりをつつんでいる。この男も、壺を見つけて、指を壺に差し込み、指先の液体をなめた。

「甘い」と男はつぶやくと去っていった。


 この話は、吉福さんの十八番の話だった。ジャズの元ベース奏者だった吉福さんは、酔っぱらうと、噺家の乗りで、このちょっと辛気臭い話を始めたものだった。
 岡倉天心の『茶の本』の一節を吉福さんがアレンジしたものだということは、自身が告白していたのだから、昨今話題のパクリということにはならない。該当部分を引用しておこう。

”宋代のたとえ話に「三人の酢を味わう者」というのがあるが、三教義の傾向を実に立派に説明している。昔、釈迦牟尼、孔子、老子が人生の象徴酢瓶の前に立って、おのおの指をつけてそれを味わった。実際的な孔子はそれが酸いと知り、仏陀はそれを苦いと呼び、老子はそれを甘いと言った。”(岡倉天心『茶の本:』)

 吉福さんは、この話にキリストを付け加え、老子をヒッピーに置き換えている。こまかな人物描写は、忘れたので、ぼくが勝手にさらにアレンジしていることをお断りしておこう。ブッダ、孔子、キリスト、老子ならぬヒッピーの、それぞれの考えが、たしかにうまいぐあいに語られている。
 さて、この「吉福さん」というのは、トランスパーソナル心理学関係の書籍の翻訳者で、また、セラピストでもある吉福伸逸氏。だいぶん昔、ぼくは吉福さんのかばん持ちのようなことをしていた。そのころの思い出のひとつだ。
 最近、吉福さんの本が2冊も出版された(『吉福伸逸の言葉』向後善之ほか著 コスモスライブラリー/『世界の中にありながら 世界に属さない』吉福伸逸著 サンガ)。そんなこともあって、こんな話を思い出したので、記録しておくことにした。

 しかし、このころのC+Fが面白かったのは、吉福さんが、こんな話をすると、「けっ、なにかっこつけてんだ!」って、サンニャシンのサット・ディヤンのような人物が、横やりを入れてくることだった。
 え、サット・ディヤンって、誰って? そうだよね、ぼくもよく分からないんだけど、一度、話したことある。なんかオーストラリアの砂漠を一人で、何日もさ迷っているときに、同じような放浪者と、砂漠の中で、無言ですれ違ったって話をしてくれた。
 ホントなのかどうかは、確かめようもないのだけれど、茫漠とした砂漠のはてしなさが、彼の語りから感じられたことだけは確かだった。
 そんな話を語るホーボーが、けっこう出入りする場を主催していたのが、吉福さんだった。

 ちなみに、ぼくも「甘い」という説で行きたいね。縄文土器にいれたら、どんな苦い酒も甘く醗酵するにちがいないからね。

*なお、タリムでの鑑定は、今週は9日水曜日、11日金曜日です。

2015年9月2日水曜日

フトマニタロット ヲユン

おはようございます。本日もよろしくお願いします。

この夏は、とりわけ「戦争」や「国家」について考えた人が多かったのかもしれませんね。この歌にあるような国家観は、素朴すぎるのでしょうか? それとも、ここに立ち戻るべきでは・・・?

▼093ヲユン          
をゆん
をのゆんの まつりやにわに   
おそるれと うまよりことの   
たみおひくなり         

ヲの弓の 政やにわに
恐るれと うまよりことの
民をひくなり

中央の弓(威嚇力)の 政治をやにわり(即座に)
恐れることはない うまいことをしようという
民を引くだけなのだから

「弓」は国家の警察力や軍事力、司法などの象徴。そのような政治行政権力を一般国民は恐れることはないとメッセージされている。こうした力は、ずる賢く自分の利益だけを目的に「うまいことをしよう」と立ちまわる、不届き者を威嚇し、勾引し、処罰することが目的。したがって、ふつうに生きていれば、そういった権力を恐れる必要はない。
ヲユンが出たら、自分が、何か不当なことを企んでいないか、考えてみよう。コンプライアンスや公(おおやけ)につくしているかどうか? 国家は一般の国民を守ることが仕事であり、「うまよりこと」に陥っていなければ、恐れる必要はない。

*参考文献:『ヲシテ 上・下巻』池田満著 展望社 『新訂ミカサフミ・フトマニ』池田満著 展望社
*縄文文字ヲシテは、日本ヲシテ研究所が、意匠権・商標権を所有しています。

*タリムでの鑑定は水曜日、金曜日です。ただし、9月4日(金)は所用につきお休みします。

 本日、9月2日(水)午前11時より、午後9時(受付締切午後8時)まで、原宿占い館タリム(03-3497-5825)にて鑑定を行います。

*『フトマニ』の解題シリーズは、本記事をもって、ひとまず終了します。今後も、さらにその奥深い世界について、探ってまいります。なお、タリム鑑定の告知メッセージは、違った形で続けますので、よろしくお願いします。