「フーファッ、フーファッ」と激しい息づかいが聞こえてくる。アダルト映画の撮影をしているわけではない。リバーシングという意図的に過呼吸を行う瞑想法を行っているのだ。
「さすがに『メディテーション』(平河出版)の編集長だ」と言うべきか・・・?
1977年に創刊された精神世界の専門誌としては先駆的な雑誌『メディテーション』の三澤豊編集長が襖(ふすま)を締め切った茶室に一人こもっているのだ。サブカルチャーのひとつの潮流を"精神世界"というコピーで括り、登場してきた雑誌だ。横尾忠則の表紙に、瞑想、インド、曼荼羅、精神世界の本といった特集タイトルが並び、当時、新宿の紀伊国屋書店などで、特集と連動したブックフェアーが開催されていた。
実は、ぼくもこの雑誌の付録だった曼荼羅ポスターを、部屋の壁に張った読者の一人だった。だから編集長が瞑想するのは、一様は、無理なく受け入れた。
そして、1982年には、経緯ははぶくとして、株式会社C+Fコミュニケーションズで、三澤豊編集長のもと、ぼくは仕事をすることになった。すでに雑誌は出なくなっていたが、『世界神秘学事典』(荒俣宏監修 平河出版 1981年刊)などが出ており、当然、ぼくの本棚に、この驚くべき事典も並んでいた。これも三澤豊編集長の仕事だった。
C+Fは、杉並の住宅街にまぎれた茶室も備えた民家が仕事場だった。2階の編集室を抜けて、1階の茶室で三澤編集長は、リバーシングを実践していたのである。やっぱり、「この人、大丈夫かな?」とぼくは内心でつぶやいていた。
三つ揃えスーツでダンディーに決めてはいるけれど、30代にして若ハゲで、髭面。時々、ロン毛のカツラをかぶってくるし、「極論すると」と「まごころ」がキーワードの、この人の話は、ちょっとちぐはぐで、何を考えているのかよく分からない。
編集者という人種は、おかしな性格の人が多いからな・・・、きっと周囲からはぼくも同じように思われているかな・・・。
いや、いや、そんなことはどうでもいいのだ。ここでとりあげたいのは『世界神秘学事典』なのである。
今、読みかえしてみても、なかなか貴重な1冊だ。なにやら最近もよくテレビに出てくる、あの荒俣宏氏が30代にして、この大著の7割は書いている。その博識ぶりは、やはり驚嘆に値する。目に付いた一節を引用してみよう。
「・・・(D.H)ロレンスはいう――太陽の光のエネルギー、月の磁力、そして星から降ってくる波動が人間の脳と神経の繊維1本1本に捉えられ、そこを流れて人間の反応をうながす。物を見、感じ、想い、魅かれるといった不思議な人間の行為は、極言すれば星々の支配下にあるのだ、と。おそらく人間の本質的な不幸と孤独とは、文明の進展にともなってこの宇宙との交感を捨てていったことに基因するのだ。愛という概念も、宗教という概念も、しょせんこの失われた〈交感〉の代替物でしかない。だからロレンスは次のように問うのである――現代人は愛しえるのか、と」
こんな素敵なフレーズを読むことができる辞典なのである。しかも、東洋、西洋の神秘学関連の事象がすべて織り込まれているといっても過言ではない。
東洋と日本を担当している国学院大学の水神祥なる人物。実は、あの鎌田東二氏なのである。Wikipedia をみると84年にこの名前で小説を書いているが、81年の本書のほうが早い。こちらが実質的なデビュー作なのではないか?
この二人が、主要な執筆者となって、心血を注いでいたといえば、今でも、この事典が十分に気になるものになるだろう。
実際、近年、復刻版出版の試みもあったようだが、なぜか実現していない。
いずれにしても、大変な事典であることは確かで、『ほつまつたえ』や『ふとまに』についても、すでに概要が示されているから、驚きだ。
こんな大変な仕事をしたら、ちょっとばかり怪しげになったり、頭が薄くなっても仕方ないだろうなと、改めて実感してしまう。
ぼくの編集の師匠である三澤豊編集長とは、しばらくお付き合いがなかったのだが、数ヶ月前に、FB上で再会することができた。相変わらずの風貌で、カツラをかぶってはいなかった。この事典、ぜひとも復刻してもらいたい1冊である(ぼくは隠し持ってるけどね)。古書市場で見つけたら、ちょっとプレミアがついていても買って損は無いこと請け合いだ。

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