2015年2月24日火曜日

『ふとまに』――――ガイド:1

 いわゆる偽書、あるいは古史古伝とされる一連の書物がある。その中でも異彩を放つものに、古代ヲシテ文字によって記された文献がある。私はその中に、『ふとまに』と題する128首の和歌集をみつけた。
 この歌集の内容は、当初、私には皆目わからなかった。ヲシテ文字の文字面に不可思議な魅力を感じたが、その内容を読み解くことはまったくできなかった。しかし、私はその「和歌集」をすでに知っているという感触を、自分の心の奥底に認めていた。ユングの言うところの「元型」ではないか? それを解くために、その解読をするために、すでに幾年も私はさまよい歩いてきた。
 かつて学者たちが「アラヤシキ」と名づけられたり、あるいは神秘家たちが「アカシック」と名づけた、あの領域が、ここに示されているのではないか? そのようなものが、ここに秘め隠されてきたのではないだろうか?
 さて、まずここで、私の把握したところのこの「元型」について簡略に描き出したいと思う。ところで私は学者として語るわけにはいかないといういささか困った立場にある。むしろ、「1日で東京のすべてを」観光せねばならない鳩バスのガイドにでもなったような気がする。
 ほんのわずかな時間で読者のみなさんにこの元型についての概観を手に入れていただかなけれならない。その上で、この元型に対する態度を決定していただこうと思うからである。
 それでは鳥居をくぐって神域に入ってみようではないか!
 さて、しかし、読者のみなさんが、すみやかに清々しい聖域を見出だそうとするのであれば、まずは手ひどい失望を与えることになるだろう。なんという混乱、無秩序、驚くべき厚さで繁茂した雑木のジャングル! 一面の雑草、はびこる草に覆われた小道は、ほとんど見分けがつかない。造園のもとになった設計は、ほとんど過日の面影とてない。
 ここで私たちの課題が何であるかを考えるなら、おびただしい草木と根の塊を取り除くことを提案する人もいるだろう。いや、ブルトーザーを導入して、一気呵成に、合理的かつ短時間で、整地作業を果たした方がいいと提案する人もいるだろう。
 国粋主義者であれば、この庭に紛れ込んだ諸外国の影響を排外主義的に浄化しようとし、とりわけ日本の気候に合わない植物を、異物として、土着種ではないものとして、引き抜こうとするだろう。あるいは熊手をとって道をすっかり掃いて歩き、敷地の概要を定めようとする者もいるだろう。
 もう、すでにユングが言ったように、人類の「普遍的」な元型が問題なのだから。いまさら「特殊な」元型に向かい合う必要などないのだと・・・・・。
 以上のような提案は、いずれももっともな理由があるが、問題の的を射当ててはいない。藪の間の小さな空地に、すこし座ってみようではないか。ここにはせり、なずな、はこべや、ありとあらゆる春の草がびっしりと生えている。耳をすましてみよう。ありふれた野草や花、無秩序な茂みは、私たちに何を告げようとしているのか? しばらく耳を傾けていれば、彼らが語りはじめるのが、その秘密をそっと打ち明けてくれるのが、聞こえてくる。(つづく)

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